自己紹介

自己紹介的なやつを書いてみる

Aisaって、なんの人?

こんにちは!初めましての方は、どうも、はじめまして!!Aisaと言います。妊娠をするまでは、都内のピラティススタジオ、ヨガスタジオ、バレエ教室などで、ピラティス、バレエを教えていました。なので、職業は、ピラティスインストラクター、バレエ講師です。

元々はずーっと子供の頃からバレエを習っていて、そのまま体育大学へ進学し、舞踊学専攻、研究室はクラシックバレエでした。卒業論文の代わりに卒業公演があり、本当に毎日バレエ漬け、ダンス漬けの毎日でした。

大学時代の活動としては、オープンキャンパスでバリエーションを踊ったり、大学主催のダンスコンクールでは、エキシビジョンに2年連続で出たり。大学に、カンパニーの公演出演のオーディションが来たりして、コンテンポラリーの公演に出たりもしていました。ダンスとファッションショーのイベント(スポンサーさんの衣装を着て、ダンスするというもの)にでたり。都内の電車を貸し切って、ダンスの映像作品に出演したり、大学のみんなで自主公演をしたり。あとは…舞踊学専攻には踊る専門ではなく、振り付け専門の人もいて、出演依頼があったり。

常に頭の中は覚えなくちゃいけない振り付けがいっぱいで、昼休みは昼練、朝の授業が始まる前には朝バレエというクラスを担当していたので、朝から晩まで教えたり覚えたり踊ったり。身体は栄養やエネルギーを欲しているのに、時間が無くて、移動しながら売店で買ったスニッカーズをかじり、朝はぎりぎりまで寝たいから朝ご飯は食べない…という日々。とんでもない毎日を送っていましたね。

とにかく毎日毎日踊り狂っていました!!それまでクラシックバレエしかやってこなかった私にとってはとても刺激的な毎日でした。楽しかったな~

大学の活動以外にも、地元の教室にも通い続けていたし、年に何度かの地元の公演にも出ていたので、身体は常に疲れていたと思います。

そしてさらにそんないっぱいいっぱいのスケジュールだったのに、教員免許を取得するために教職課程の単位を取っていたので、施設へ実習に行ったり、高校に教育実習にも行っていました!ほぼその辺のキオクガナイ!!!!
でもちゃんとなんとか教員免許取得できました!頑張りましたね。

楽しい毎日に忍び寄る影

そんな楽しい楽しい毎日に忍び寄る黒い影が…そうです、気付いたらヘルニア君が私の大事な腰にいたんです!/(^o^)\ナンテコッタイ

もうね、絶望でしたね。なんか痛いなぁ~と思いながらごまかしてきた腰も、もうごまかせなくなってきて。足は痺れてるし、常にぎっくり腰みたいな状態で。レントゲン撮りに行ったり、MRI撮りに行ったり、踊るどころじゃない毎日が急にやってきました。大学に行っても、授業は実技ばっかりだから見学するしかなくてねぇ。いつも一緒に踊ってたみんなは変わらず踊ってるのに自分は踊れなくて、そのうち見るのも辛くなっちゃって、学校行くのも嫌になっちゃって。いつでも泣きたい気分で、人に会うのも嫌で。(今思うとかなり病んでましたね)

書いてたら辛くなってきちゃったな。色々思い出しますねぇ。

この頃に、バレエで生きていくことを諦めました。バレエ団とか入りたかったし、ダンサーとして海外にも行きたかったのです。

痛みって、人からやる気や気力も奪ってしまうのですね…

あの頃の私は廃人でしたねぇ。。

子供の可能性を知った

痛いまま、なんとか卒業公演には出演して、卒業はできたけど、踊って生きていこうと思っていたので就活なんてしていなーい。

でも大事な時期に怪我をして、オーディションを受ける事も出来ないまま社会に出てしまった私は、治療をしながらだったのでバイトをしながらふらふらしておりました。

その後、腰の痛みがごまかせる様になった頃、有難いことに、地元の幼稚園でバレエを教える仕事の依頼を頂きました。バレエの授業がカリキュラムに入っている幼稚園って、珍しいですよね。一年に一回、大ホールで発表会もありました。発表会の時期になると、毎日バレエのクラスがあって、振り付けをして、衣装も考えて、チュチュが仕上がってきたら飾りつけをして。先生方と色々な打ち合わせをして、保護者の方々に舞台メイクのやり方を伝授して。発表会当日は先生方と保護者の皆さんと子供たちで舞台を作り上げて、貴重な経験をさせて頂きました。

子供の可能性って凄いって思い知らされましたねぇ。

これは出来ないかな~っていう振り付けも、フォーメーションも、出来ちゃうんですよね。根気よく教えると、ちゃんと覚えて、舞台に子供たちだけで立って、踊りきるんですよ!出来るかな、大丈夫かなってハラハラしながら舞台袖から見ているけど、子供たちはしっかり踊りきって、堂々と袖に戻ってくる姿に感動しました。

その時の経験のお陰で、子供の可能性を信じて、今の子育てが出来ている気がします。

そして、今思うと、教職課程で学んだ教育学や、学習指導案(授業の進め方や流れ)の作成方法などが役に立った気がします。何のために苦労して免許を取ったのかと思う事もありましたが、人生、無駄な事ってないんですよね。

そしてピラティスに出会う

幼稚園の仕事をしながら、徐々にバレエとの関わりや、身体作りの事に意欲が湧いてきた頃、大学在学中から気になっていたピラティスの資格を取ろうと思い立ちました。

習ったことがあったわけではないのに資格を取ろうと思ったのはある意味ビビビときた、運命だったのかもしれません。大学の教授がピラティスの指導資格を持っていて、トレーニングセンターにリフォーマー(ピラティスのマシン)が置いてあったのも、ピラティスという存在が遠くなかった理由だったと思います。

すぐに調べて、家から通えるピラティススタジオの体験クラスを申し込んで、すぐに通い始めました。普段、優柔不断な私にしては、資格を取りたいと思ってから、行動に移すまで、とてもとても速かったです。

通い始めたスタジオで出会ったインストラクターとの出会いが全てだったように思います。

その時出ていたクラスのインストラクターに資格を取りたいと相談した所、その方が資格取得したセンターを教えて下さって、しかもコースが1か月後にある事を教えて下さいました。

迷わず申し込みをして、コースに飛び込みました。

コースを修了すると、資格取得出来るのですが、コースの終了まで、3ヶ月ほどかかりました。コース終了後、試験を受けて、合否発表の頃にはオーディションを受けて、すぐに3か所のスタジオでの勤務が始まりました。

本当に、ここまで、運命としか思えないほど、順調でした。

それから、妊娠して、切迫流産と診断されるまでは(その話は後々。)ピラティスのインストラクターとして、沢山の経験をさせて頂きながら、多くのお客様とも出会い、充実した日々を過ごしました。

妊娠、出産を経て

忙しい日々の中、待ち望んでいた妊娠が発覚し、仕事から離れる事になり、不安だらけの出産をして、分からないことだらけの子育てが始まりました。娘が産まれてやっと外にも出かけられるようになった頃、新型コロナウイルスが流行しだし、中々友達に会う事が出来なくなり、孤独を感じることもありました。

分からない事、知りたい事はネットで調べまくって、同じような悩みがある人、経験した人のブログをたくさん読み、参考にしました。

子育ての事はいくらでも情報が欲しかったので、同じ経験をされた方のブログは目につく限り読み漁りました。

妊娠期は、切迫流産から始まり、逆子(無事戻ってくれましたが)、子宮口の位置が低いから出血しやすいのであまり歩かないように言われたり…無痛分娩を選択、などなど、不安になる事が沢山ありました。

たぶん、どのお母さんも、内容が違うにしろ、それぞれ不安があって、でも逃げられないし、自分が向き合うしかないしで、色々な情報を集めているのではないでしょうか。

SNSやブログに沢山助けてもらったので、私も自分が経験した事で誰かの役に立てるなら!と思い、ブログを始める事にしました。調べていると分かりましたが、妊娠の状態も、子育ても、みんな違うし、パターンも1つじゃないんですよね。もちろん、答えがないことも多いです。なので、私はより多くの情報が欲しかったし、有難かったです。

長々と自己紹介的な事を書いてみましたが…

誰がこんなの読むねん!!と言いながら気づいたらこんなに長くなってしまいました。もし、ここまで読んで下さった稀な方がいたとしたら、もうそれは運命かもしれませんね!!ぜひ、仲良くしてください。

大学時代には体育大学教育学部で学び、体育の教員免許を取り、卒業してからはピラティスを学び、アスリートフードマイスターの資格を取り、健康運動指導士の資格を取った私が、身体の事、身体作りの事、そして妊娠中・出産後の身体の事、さらには子育てについて書いていく予定です。

何か少しでもお役に立てれば。

そして、可愛くて甘えん坊なわんこも一緒に暮らしています🐶

ヨークシャテリアと、トイプードルのMIXです🐶が、かなりの確率でマルチーズですか?と聞かれます。笑

どうぞ、よろしくお願い致します!!